西暦2193年。閉鎖されたこの地下研究室で、一人の魔法士が完成した。『世界』のアルカナをモチーフに作られた魔法士だ。
その魔法士の製作期間には凡そ七年の時を必要とされ、七年の月日を費やした科学者は、長年の疲労と、持病から、自らの作った魔法士が目を覚ます前に、この世に『さようなら』を告げた。
本当の事を言えば、自分の作った『娘』が目を覚ましたところを、一目でいいから見たかった。だが『娘』の前で息を引き取る事は『娘』をより深く悲しませる事だと思っていた科学者は、断腸の思いでその選択肢を選んだのだ。
自分の骸を発見されないように、でも、自分の顔は知っていてほしいという願いから、置手紙と写真をおいて、防寒装備をして研究室の外に出た。
その後は、予め来て貰っていた知人にその最後を看取ってもらい、科学者は死んだ。
外見が40を過ぎた女性が、今、ベッドの上で息を引き取った。若すぎる死だった。
女性の死を見届けた二人の人物は、言葉一つ話さなかった。ただ、悲痛な面もちのまま、立ち尽くしていただけだった。
「…」
「…」
三分ほどそうしていただろうか…知人のうちの片方が、口を開く。
「…でも、ここでこうしていても仕方がないわ。
本位じゃないんだけど、この人の遺体は埋葬しておきましょう。それから、私達もしばらくは姿を隠すのが賢明だと思うわ」
かなり若い女性の声。それに対し、もう一人の知人が答えた。
「おいおい、この人が作ったって言う魔法士はどうするんだよ?一人ぼっちのまんま放置しておくのは可哀相じゃねぇのか?」
かなり若い青年の声だ。
「私だってその子に会いたいわよ!
でも、あそこは今、野党達の縄張り争いで戦場と化しているから、そんなところに近づくのはかなり危険だわ。
加えて、海こそ隔てているものの、シティ・マサチューセッツが近くにある。そして、騒ぎを聞きつけたシティ・マサチューセッツの連中が来ないとも限らないわ。
だから、今はその為に、事を荒げてはいけないと、私はそう思うわけ」
少々声を荒げ、女性が反論する。
青年の方も、これ以上言いあった所で得るものなど何も無いと感じたらしく、面倒くさそうに両手を頭の後ろで組んで、めんどくさそうに言い放った。
「…ま、しょうがねぇよな。
んじゃ、ほとぼりが覚めたら、改めて迎えにでもこよーぜ」
「そうね。貴方が理解の早い人間で助かったわ」
その後、女性の最後を見届けた知人も…もとい、知人達も、いずこへと姿を消した。
最後にもう一度だけ、地下研究所の隠された入り口を見てから。
突如、培養層から羊水が抜けた。
培養層の中に居た頃は、培養層の隣にあった端末から知識を得ていた。ゆえに、この事は、この培養層に繋がれた端末によって前もって知らされていたから分かっていたが、それでも、やっぱり今まで自分の身体を支えてくれていたものがなくなるというのは、どこか寂しいものだった。
「うう…分かってましたけど、やっぱりさむいですわ…」
生まれて初めて感じる『寒さ』という感覚に、両腕が身体を抱きかかえるように動く。といっても、この研究所の空気は人が住むには十分なように調整されているし、永久機関から生み出されるエネルギーのお陰で、それがなくなる日は現状ではありえない―――と、これも端末から教えてもらった知識だ。
「ええと、お着替え…お着替えはどこでしょうか…あっ」
少し辺りを見回すと、自分の為に用意された服が目に入った。刹那、探し物が見つからず、僅かに不安の色に染まっていた顔に喜びの感情が浮かぶ。
端末から得た知識によると、外に出たら着替えないといけない。そのこともきちんと分かっていた。
一応、19歳の女性として作られたこの体。そうでなくても、何も着ないのは拙いだろう―――様々な意味で。
「え、ええと…こうして、こうきて、こうやって…」
初めてのお着替えに悪戦苦闘すること数分。
「――できました!」
あちこちにフリルのついた、赤系を基調とした可愛らしい服に身を包んだ少女の顔に笑顔が浮かぶ。
「…ん、ふわぁ…」
安心したら緊張がほぐれたのか、口元に手を当てて小さく欠伸をする。と、人が住めるほどに調整された空気が肺に入り込む。培養層の中とは違うその感覚が新鮮に感じられる。
「…これが、培養層の外の世界ですか」
きょろきょろと、周囲を見渡す。
確か、自分についてのデータは、手紙という紙に書かれたものだと、端末から学んでいた。
そして彼女は、直ぐにそれを見つけた。それは、簡素な強化カーボンの机の上においてあった。
綺麗にたたまれたその手紙を開いて、彼女は手紙を読み始めた。文字に対する知識も、もちろん端末から得ていたから、簡単な事だった。
手紙に書いてあったのは、自分の出生の事と、自分の能力と、そして―――アイシャ・セイレンアリアという『彼女』の名前。
「あい―――しゃ」
試しに口に出してみると、とても暖かい気持ちになった。
「これが、わたくしの、なまえ…」
ぽつりと呟くと、再び、暖かい気持ちになれた。その理屈や原理なんかはまだ理解できなかったが、それでも、その時だけは、その気持ちに身を任せることにした。
アイシャの能力は『原子配列変換に特化』している『創生者』と呼ばれる新種の能力だ。
『炎使い』と呼ばれる魔法士が、世界にはいる。その中でもよほど優れた者は、瓦礫の残骸から食料を作り出すのだ。
つまるところ、アイシャの能力は、その究極系。範囲内に存在する物質を自由自在に変化させる能力だ。
変換できるものは強化カーボンや騎士剣に始まり、洋服や靴、そして空気や水蒸気にまで及ぶ。逆に変換できないのは生物全般。特に、情報に対し耐久力の高い魔法士にはほぼ効かないと考えていい。
それ以外ならほぼ制約は無いが、元の体積を超えて物を生成することは不可能。また、変換後の物質が返還前より強い材質により構成される物だと、I−ブレインへの付加がかかる。
しかしアイシャのI−ブレインは演算能力が非常に高いので、その点についてはあまり問題はないだろう。
寧ろ、複雑な構図をした物の方が苦手である。例えるなら、優れた能力者の騎士剣を作ろうとすると、I−ブレインが疲労で強制停止するほどらしい。
また、如何なる事があっても、『命』を作り出す事は、『絶対に』出来ない―――。
アイシャが培養層の外に出てから、一週間が経過した。
部屋の中にある本を読んで、知識を片っ端から吸収していった。その結果、外の世界に興味がわいた。
手紙には『危険だから、アイシャを知っている人が来るまでドアを開けない事!』という文章と、なにやら怒りを表す顔文字が書かれていた。
「…うう、でも、それでもわたくしは…」
むぅ、と、アイシャは困った顔になる。
自分を創ってくれた科学者の事を、アイシャは知らない。ただ、手紙には『いつか誰かが此処に訪れるから、その時に聞いてね』と書かれていた。
それがどういう事なのかなんて、その時のアイシャには分からなかった。
だた、根拠も何も無いけれど、いつかきっと会いにきてくれるんだと、そう思っていた。
―――寧ろ、そう思わなければ、さみしくて、心が潰れてしまいそうだった。
ひとりぼっちだという事を考えると、胸が痛む。掌で胸を押さえても、痛みは治まらない。ひどくなる事は無いのが救いかもしれない。
「…このままじゃ、わたくしは一人ぼっちなの…」
そのことを考えると、塩をかけられた青菜のように、その顔がたちまちのうちにしゅんとなってしまう。
本に書かれた物語には、如何なる話であっても、主人公には必ず『ともだち』が居た。『ともだち』は、今のアイシャの周りには絶対にないものだった。
あれ以来、誰かが近くにいてほしいと思った。そう考えると、すぐにでも動きたくなった。
「…ごめんなさい。わたくしを作ってくれた科学者さん。
でも、きっと、わたくしは動かないといけないのですわ…」
今を変える為に動くんだと、アイシャの脳がそう告げた。そんな気がした。
入り口のドアには、指紋認証が設定されていた。
もしかしたらこの時点で出られないかもしれない。と、早速不安に駆られたアイシャだったが、どうやらちゃんと自分の分の指紋のデータも入っていたようだった。
(外の世界…一体、どんなところなのでしょう)
胸の中から湧き上がる、期待感。
それに任せて、扉を開いて―――――――――後悔した。
…そこは、死地だった。
喜びに溢れていたアイシャの表情は、次の瞬間には驚愕のそれに変わる。
ひぅ、という声が、喉から出た。
目の前に、軍服を着込んだ人の死体があった。頭から血と脳漿を垂れ流す、命を失った屍。アイシャには、目の前の軍服を着込んだ人の死体に触れる気なんて、到底起きなかった。
加えて、目の前では、御伽噺でしか見たことのないような様々な平気が所狭しと並び、互いに向き合って火を噴いていた。
「……こ、これが、外…なの?」
こんなの、違う。
こんなのはチガウと、脳が、心が告げている。
物語で見た『外』は、こんなに殺伐とした世界じゃなかった。もっと暖かくて、もっと幸せに溢れているはずの世界だった。
現実と想像のギャップの激しさにショックをうけ、アイシャが膝をつく。
頭の中が真っ白けになるような感覚。どうしてこうなるのかなんて、その時のアイシャには分からなかった。
「…うそ、こんなの、うそですわ…」
それでも、心は現実を否定して、
―――刹那、目の前に、黒い点が現れた。
それはすさまじい速度をもって、アイシャへと一直線に向かってくる。
I−ブレインが一瞬で警告を発令。カテゴリ『銃撃』という判断をコンマ一秒で下す。
『銃撃』―――その言葉の意味を、アイシャは知っている。
銃弾とは、命を奪う鉄の弾。そしてそれが、アイシャへと一直線に向かっている。
「いやぁっ!」
主の感情に異常を察知したI−ブレインが、プログラムされた危険察知機能からの命令を得て起動する。
目の前の銃弾に命令を送り、鉄の弾の原子配列を強制的に変換する。
一秒とたたないうちに、鉄の弾だったものはアイシャの額に当たって『ほわん』と跳ね返る。
真っ黒な鉄の弾は、真っ白な脱脂綿に変わっていた。確か『誰にでもできる医療』という本に、脱脂綿という項目があって、それはとても柔らかくて、当たっても人を殺すことなんて万が一にもありえないという事を覚えていたのだ。
アイシャの心の中に、安堵と怯えが同時に訪れた。
このまま外に居たら危ないと脳が理解し、泣き顔のまま踵を返し、扉の中の研究室に戻る。
この扉は光学迷彩と指紋認証、そして優れた耐火耐熱耐冷仕様により、外からは先ず侵入されない仕組みにはなっている。
だけど、それでも、安心できない。もしかしたら、何らかの形で―――。
「そんなの…そんなの…あってはいやですわ…だから、わたくしは…」
アイシャは扉の目の前で座り込み、膝に顔を埋める形で、扉が開かない事を願って、一般的に見張りと呼ばれるであろう行動に出た。物語の中で、豪華な王宮の兵士さんがやっている行動がそれだったから、覚えていたのだ。
外に憧れて、手紙に書いてあったことも守らずに、こうなった。
やはり手紙の内容は守るべきだったのだと、扉の前で、アイシャは遅すぎる後悔をした。
「…お外は、怖いですわ」
目じりに浮かんだ涙が、頬を伝って流れ落ちた。
I−ブレインを使って銃弾を脱脂綿に変えなければ、確実に殺されていた。
――――――現実を知って、生まれて初めて、外が怖くなった。
「―――あ…」
知らぬ間に飛んでいた意識が戻った。どうやら、泣き疲れて少し眠ってしまっていたらしい。
アイシャの格好は、見張りについたその時と何一つ変わっていない。あえて挙げるなら、長時間膝に顔を埋めていた為に首が少し痛むけど、特に問題には至らないレベルだ。
「…そ、その前に」
脳内時計を起動する。結果、『外』というものを知ったあの時から、三時間ほど寝ていたらしい。
「…誰も、こなかったのですわ」
心の底から、安堵のため息。
強固なセキュリティを信頼していないわけではないが、それでもやっぱり不安にはなる。
これでいて、誰かが一緒に居れば大分違うのだろうけれど、生憎とそんな人はまわりにはいてくれない。よって、安堵は、今の一人っきりのアイシャにとって欠かせないものだ。
「…やっぱり、お布団で、寝たいですわ」
…どうやら、安堵したところ、眠気が襲い掛かってきたらしい。無理な姿勢で寝たのと、心に受けたショックが元だろう。
「きっと、外の人達も、来ないでしょうし」
アイシャは自身の安堵の為に、自身にそう言い聞かせた。それ以外の可能性なんて、この時は考えたくも無かった。
アイシャの為に準備されたベッドに身を横たわらせると、眠気は直ぐに襲ってきた。
一般的に夢と言われるものは、カケラも見なかった。
少々虚ろな気分のままで目を覚ます。寝覚めはちょっと悪いようだ。
脳内時計を見ると、どうやらあれから五時間ほど寝ていたようだ。途中で寝てしまった時間を加えると八時間くらいだが、そんな中途半端な寝方をした時間を加えるのは、ちょっと違う気がする。何が違うのかもよく分からないけれど。
「…とりあえず、起きませんと…」
ふわぁ、と小さく欠伸をして、背伸びをする。
ベッドから降りて、裸足のまま靴を履いて、ご飯を食べる為にテーブルに向かおうとして、
――――――コンコン、と、小さく音がした。
「…っ!」
体がびくっ、と震える。
今の音は、誰かがこの研究所の存在に気づいた証拠だ。
(お、落ち着くのですわ…だ、だって、この中にはわたくし以外には入れないはずですわ)
心の中ではそう思っていても、両手で押さえた胸がどきどきと高鳴る。
だがそんなアイシャの心情とは裏腹に『かちゃり』と音が鳴る。
続いて、ぎぎぃ、とドアが開く音。
「ええっ!?ど、どうしてっ!?こんなこと、起こり得るはずは無いはずですのに!」
訪れる感情は、困惑。
ドアが開いたという事は、指紋認証システムを始めとする防衛機能が全て突破されたという事だ。つまりは、何者かの侵入を許したという事。
理由なんて分からない。けど、とりあえず何とかしないと…と思っても今のアイシャに具体策なんて思いつくわけも無い。
どうしようどうしよう、とアイシャがわたふたとしている間に、当の侵入者達の足音が聞こえた。ドアからこの居住区までの数メートルの廊下を、その足音は一歩、また一歩と確実に此方に近づいてくる。
…結局、どうしたらいいかなんて、最後まで判断できなかった。
そんな中、侵入者達が姿を現す。
「ええっと、生命反応はこの女の子だけ…と、いう事は…」
「…あー、ビンゴってやつじゃねぇの?」
赤い髪の女性と、茶色い髪の男性が、隣同士に並んで立っていた。
二人の姿を見た途端、今まで慌てふためいていた感情がどこかに飛んでいったような、そんな感じがした。
目の前にいるこの二人からは、悪意のようなものが感じられない。それよりも、こんなところに来客が来てくれたことの方が嬉しかった。
「あなたが、アイシャ?」
少しの間此方を見つめていた赤い髪の女性は、落ち着いた口調でそう告げる。
「…え、あ…そ、そうですわ」
咄嗟の問いにうまく言葉が出てこなかったものの、それでも、赤い髪の女性の意見に対し答える事に成功する。
「へぇ、結構可愛い子じゃん」
こちらは茶色い髪を、まるでどこかのロックバンドの人みたいに、真上へと真っ直ぐにぴんと伸ばしている。一体どうやって固めているのか、ちょっとした興味心をくすぐられる。
可愛い子、と言われて「え?え?」と、小さく首を振りながらほほを押さえるアイシャ。そんな事を言われたのは生まれてはじめてである。まあ、アイシャにしてみれば他人と出会った事自体初めてなのだけれど。
「どれ、もうちっと近づいて…うおぁっ!」
青年が一歩を踏み出した刹那、がつん、という音と共にその髪の毛が入り口のドアに引っかかって、てこの原理に従い、青年は後ろへとバランスを崩して倒れこんだ。
そのおかしな光景に耐え切れず、知らぬ間にアイシャの口から、くすり、と笑みが漏れた。
「…何をしているのよ。フォーレスト」
呆れた目つきで、女性が男性を見やる。その時に発せられた言葉から、男性の名前がフォーレストだという事が判明した。
「フェアードネイルよぉ…少しは警告くらいしてくれよ」
頭を抑えつつ、女性に対し非難の視線を送る男性―――フォーレスト。その会話から、女性の方の名前がフェアードネイルであるということを、アイシャはすぐに理解した。
で、気づいたら、アイシャは率直な感想を述べてしまっていた。
「お二人とも、仲がよろしいのですわ」
「そんな仲なんかじゃないわ。私の製作者と、フォーレストの製作者が親しかっただけの、所謂腐れ縁なだけ…」
「全くその通りだっつーの…ってか、あんた、俺達が見知らぬ他人だったっていうのに、よくそんなにのほほんとしてられるんだな」
二人同時に、否定。
その後に訪れるのは、一瞬の沈黙。
「…あ、そ、そうだったのですわ!すっかり忘れていたのですわ!」
呆けた顔がはっ、と、驚きの表情に変わった。
目の前の二人が侵入者だったのを今更ながらに思い出す。二人の気配や行動があまりにも敵意と縁遠かったので、つい忘れていたのだ。
「今まで忘れてたのかよ…無用心な子だなぁ。
相手がオレっち達じゃなかったら、最悪の場合、今頃とんでもない目にあわされていたかもしれねーのによ」
「フォーレスト、そういう不安を煽るような発言はやめておくのが賢明よ。それに、そろそろ私達が来た理由を教えてあげないといけないでしょう。アイシャを安心させてあげないといけないしね」
こほん、と一つ咳払いし、フェアードネイルが説明を始めた。
…目の前の二人が、どうしてここに入れたのかという
アイシャを製作した科学者は、二人を製作した科学者達と仲がよかったという。だから、指紋認証にも引っかからなかった。
そして、アイシャを作った科学者が、もうこの世にいないという事も知った。そして、二人がアイシャを製作した科学者の最後の頼みで、アイシャを頼まれていた事も、全て話してくれた。
流石にその時は大きなショックを受けて泣き崩れた。
アイシャの親は、もう、この世にはいないのだと、知ってしまったのだから。
…けど、その代わり、これからはこの二人がずっと傍にいる。
自分が一人じゃない事を、生まれてから数週間で、アイシャはやっと知る事ができた。
―――彼女の物語は、これから始まる。